
サンディエゴ教会あかし集 1995年12月
=第3号= 目 次
| 生命のすばらしさ | ……………… | 浅水 智子 |
| 神の人生の導き | ……………… | 中馬 英雄 |
| 死の淵を越えて | ……………… | 藤井 静子 |
| 素晴らしい贈り物 | ……………… | クレイマー 宏美 |
| いつも喜んでいなさい | ……………… | 町田 かおり |
| 主の十字架を示されて | ……………… | 城本 道子 |
| 神の手に支えられ | ……………… | 竹永 正子 |
| 娘に誘われて | ……………… | 植地 君代 |
私はこの地アメリカで結婚と出産を通し神さまとの出会いを与えられました。私の主人はアメリカ人で私は彼の母と弟と同居しました。結婚後、すべて一生懸命自分の出来る事を、彼と彼の家族に何でもやってあげていましたが、彼の母にはあまり私の誠意も通じなくとても辛い時もあり、主人に言っても余り私の味方にはなってくれませんでした。私は日本の両親には心配させたくなかったので、いつも電話ではうまくいっていると言っていました。強がってはみても、環境の違い、人種の違いで一人でいてはとても孤独な時を過ごしました。
そうこうしているうちに、私の初めての子どもを出産しました。帝王切開でした。私は子どもがとても欲しかったのですが、まして自分の子どもに限って、体に異状があって生まれてくるとは思いませんでした。私の子〃愛紫矢〃が生まれる前にドクターから、赤ちゃんのお腹の腸に異状があり、生まれてすぐ手術が必要と言われました。三万人に一人という病気でした。とてもショックでした。健康でまるまるとしたかわいい赤ちゃんが生まれてくると想像していた事とはまるでかけはなれていたので、唖然としました。
帝王切開後すぐに、生まれたばかりの私の子どもは手術を受けました。手術後保育器に移され約十日後私は初めて自分の子どもを抱くことを許されました。この世にこれほどの喜びはないというほど感激しました。愛ちゃんはまだいろいろと体に機械、チューブをつけられていました。そしてその後三度の手術をくり返し、合計四回の手術後約四か月の集中治療ののち、はじめて家に帰ることが出来ました。その期間、私は食欲もなくゲッソリとやせました。愛ちゃんが集中治療室にいる時、一人の日本人のシスターが、愛ちゃんの保育器の所に来てお祈りして下さり、その後、私が途方もなく心細い時に、一言「この子どもは救われますよ」とはっきりと私の目を見て、自信満々に言われた時、私はクリスチャンでもないのに、心の中で「神様ありがとう」と言っていました。このシスターが言ってくれた一言は何と力強く私を支えてくれた事でしょう。それから私は毎日、病院の中にある小さなチャペルで愛ちゃんの生命を守って下さいとお祈りしました。私は愛ちゃんが助かるのなら自分の命をちじめてもよいから愛ちゃんをお助け下さいと祈りました。それが私の病院での支えでした。とてもとても長く感じた四か月の病院での日々の後、神様は私の祈りに答えて下さり愛ちゃんをとても健康で明るい子どもにして下さいました。感謝の祈り、喜びの祈り、生命のすばらしさ、両親の寛大な愛をはじめて深く学ぶ事が出来ました。
その後、偶然とは言えませんね、神様に導かれて、クリスチャンの友人が出来、彼女が私を教会にさそってくれました。私も愛ちゃんの事が心配で、ましてや夫婦関係もうまくいっていなかったので本当に神様の助けにすがるつもりで、出席しました。すべてバイブルのメッセージは、心の食べ物のように私の疲れてかわいた心に流れる水のように、ぐんぐんと心の中に入ってきました。「求めよ、そうすれば与えられるであろう。捜せ、そうすれば見い出すであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである」(マタイによる福音書七章七節)。本当に真実を求めていた私には、チャーチに行く事、毎週金曜日の聖書研究に行く事、そして神様のメッセージを聞く事で私は生きてゆく上で力強い、勇気を与えられました。
そこで聞いたメッセージは、この教会で聞くメッセージとかわりないものでした。私は神様の前に罪人である。しかし、私を罪から救うために、イエス様は十字架に死んで、罪の刑罰を、私にかわって受けてくださった。イエス様はよみがえられ、今も生きて、私の内に住んでいてくださるとのメッセージでした。私のように罪深い人間も神は大きな愛でうけとめて下さった、その寛大な愛、真実の愛をしめされ、私は、イエス・キリストを私の罪からの救い主と信じました。神はが私を生かしていてくださるということを知り、生きる喜びと力が与えられました。約二年後、私は洗礼を受けました。私の両親は仏教ですから、とても私は悩みましたが、これは私自身と神様との関係で、この関係は何よりも大切だと自分に言い切ることが出来ました。
現在は離婚の後、娘と共に毎日明るく、力強く感謝の心をもって、大切な一日を神様と共に歩んでいます。苦しかった時期は、とても長い長い暗いトンネルのようでした。今は、そのトンネルの中から抜け出し、神様のものすごく明るく、まぶしい光の中に私はいます。あふれるばかりの喜びが心にあります。神様はきっと、この神のすばらしい愛を私に教えてくれるために、私にいろいろな試練を与えてくれたと思います。これからも神様と共に手をつないで毎日暮らしてゆきます。もし今、苦しんでいる方がいられましたら、必ず神様はその人にとっての最高の道を与えられている事を信じ、みなさんと助けはげましあい、成長してゆきたいと望んでいます。
私は仏教の両親のもとに、九州の南端、鹿児島の大隅町で生まれました。学生時代は立派な軍人になり、天皇の為、又御国の為につくす者になりたく心身共に鍛えました。しかし敗戦をむかえて私の夢はもろくもくずれ人生の生きる目的を失い、神も仏もあるものかと失望のどん底に落とされました。高校卒業後英語の勉強の為上京中、カリフォルニア在住の叔父より、二人の留学生を呼びたいとの依頼があり、私と従兄弟と二人が選ばれて留学生として渡米致しました。スポンサーの叔父は熱心なクリスチャンでクリスマスの祝賀会の折、はじめて日系サリナス長老教会に出席し、キリスト教にふれイエスの御降誕を知りました。その後、神様を求めて、あらゆる集会に出席しました。それ迄は、無神論者で人生は、自分で切り開き、自分の考えで歩むものであると自負していた私でありましたが、外国にあって、言葉の不自由さや多くの不安との戦い又、自分のみにくさ、弱さ、生まれながらの短気、又数々の犯した罪を神に示され、心からなる悔い改めをして、イエスの十字架は、私の罪の為であった事を信じ洗礼を受けました。そして不安であったこれからの人生のすべてを主におゆだねし主と共に歩む決心を致しました。「何事も思い煩ってはならない。ただ事ごとに、感謝をもって、祈りと願いをささげあなたがたの求める所を、神に申し上げるがよい。そうすれば人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとを、キリストイエスにあって守るであろう。」ピリピ四章六、七節。このみことばは、私の信仰生活の中で、いつも慰め励ましとなっております。
大学在籍中、留学生は法律的に米国の軍隊には入隊出来ないのですが、手続きの間違いで日本人として、初めて米海軍軍人として入隊致しました。留学といい入隊といい、すでに神の不思議な導きがあった事を思います。入隊後神奈川県厚木基地に勤務の折、仕事の為出入りし、通訳の手伝いをしていました。家内の兄と知り合い三年の交際の後、結婚に導びかれました。海軍生活二十年の間、まさに人生の歩みにも似た太平洋での航海でした。海上勤務が多く長い間よく家を離れ留守をする生活でした。特にベトナム戦争の時には、LSTと云う輸送船に乗っておりましたので十一回も敵前上陸作戦に参加しましたし、サイゴン川、メコン川もとびかう弾丸の下を何回も、行き来し陸軍部隊を援助しました。多くの船が多くの船が敵に爆撃され戦死者を出しましたが、私の船だけは、実に神の御守りの中何事もなく航海中多くは東洋方面の国々に入港しましたが、港に入るたびに多くの誘惑の場所があり、若者たちは足を向けますが、幸いに私はその土地の教会をクリスチャンの友人と共に訪ねる事が出来、主にある兄姉方との交わりが与えられ、心より感謝しております。
結婚して二年後、離れていた妻と長女と初めてサンディエゴで所帯を持ち、その後長男が与えられました。長女はクリスチャンの日系三世と結婚し、二人の子供が与えられ、彼は仕事のかたわら神学校へ行っています。長男は双子でしたが、一人は出産後すぐに召されました。彼の九才の時、「僕は神様に生かされたのだから神様の為に働きたい。」と献身の告白をし、神様の導きの中、現在当教団のロスアンゼルス教会の英語部の牧師として牧会にたずさわっております。家内も大きな手術を二回致しました。八年前の脳腫の手術、三年前の腸癌の手術と肉体的にも又精神的にも、大きな試練の中を通されましたが、その度毎に、御言葉を体験させられ信仰に励む事が出来「私が弱い時にこそ、わたしは強いからである。」又「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(詩篇一一九篇七一)と告白出来ます事を心から感謝致しております。私も七年前に網膜剥離の手術を急に行う事になり、失明寸前を助けられた事を心から感謝致しております。御言葉に「神は神を愛する者たち、すなわち御計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ローマ八章二八節)とありますように病をも益とされ、夫婦で共に信仰に励めます事を心から主に感謝致しております。今日ある事を思うときただ神様のあわれみと恵みであり、又主にある兄姉方の祈りと愛の交わりにささえられた事を心から感謝致しております。今年リタイヤーを迎えましたがこれからの余生を主の証人として用いて頂き、北米の日系人の救いの為に御奉仕させて頂きたく祈っています。 「わたしとわたしの家とは共に主に仕えます。」(ヨシュア二四章十五節)
小学校二年の時終戦、戦後間もなく姉がミッションスクールに入り、クリスチャンになりました。姉の受洗の時、父は非常に喜びましたが、信仰だけはけっしていいかげんな気持ちでしないようにきつく言っていたのを覚えております。この姉につれられて、私もサンデースクールに行くようになりましたが、中学校へ入ってからは、受験勉強やクラブ活動等で忙しく、いつの間にか教会をはなれてしまいました。
高校卒業後、親元をはなれて上京し、寮生活をへてアパートで独り暮らしをするようになりましたが、日本がちょうど激動期で、多くの若者がそうであったように、世の流れにもみくちゃにされながら、神様に背をむけて、ちょうど羊飼いをはなれた羊のようにたよりなく、貴重な青春の日々をすごしてしまいました。そんな中で結婚し、二人の子どもも与えられましたが、四年目に離婚、病弱な子どもをかかえての母子家庭の大変な生活も経験致しました。
離婚後、主人はシカゴで働いておりましたが復縁し、再出発の場をアメリカに決めて一九七九年のクリスマス・イブに移住し、間もなくサンディエゴにレストランを開店いたしましたが、不況の時でもあり、準備不足もあって経営が軌道にのりませんでした。かさむ借金、子どもの病気と学校の問題、主人の女性問題等、多くの苦しみの中でお酒におぼれ、その結果、大型トラックと正面衝突という大事故をおこしてしまいました。車は大破しましたが、幸いにも怪我人は私だけで、外傷はなかったものの、鞭打ち症、胃と腸の破裂、歩行困難等で、三週間入院生活をしました。手術後ベッドの上で身動きもできず、いつも枕元に置いてある、いくらがんばって吹いても微動だにしない肺活量の測定器をうらめしくながめながら、言いようもない絶望感におそわれ続けていました。ある夕方、となりの部屋の病人が苦しさのあまり、サムボディー・ヘルプ・ミーと泣き叫ぶのを耳にして、私はいつの間にか、神様に助けを求めておりました。
神様はそんな私をあわれんでくださって、不思議な「幻」を見させてくださいました。夜中に窓から光が差し込み、光の中から、『測定器を手にとって吹きなさい』という声があり、吹いてみると測定器の中の小さなピンポン玉がいきおいよく上下するので、うれしくなり、何度も何度も吹き続けました。あくる朝、目がさめて吹いてみましたが、玉は少ししか動きませんでした。それでも私はこの出来事を通して、神様が共にいてくださることが確信でき、勇気と希望をもって、回復のために努力することができました。退院後、多くの人たちの祈りといろいろな助けのもとに受洗することができました。
受洗の時、ヨハネの福音書11章25、26節から「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信ずる者はたとえ死んでも生きる。また、生きていてわたしを信ずる者はいつまでも死なない。」との御言葉が与えられましたが、この御言葉は生死の間をさまよい神様のあわれみによって生かされていた私に、イエス様が私の罪のために十字架で死に、私に永遠の命を与えてくださるためによみがえられたこと、たとえ肉体はほろびても、罪を悔い改め、イエス様を救い主と信ずる者のたましいには、天国への道が約束されていることを教えてくださいました。私は神様に召され、クリスチャンになれた幸いを喜び、心から感謝いたしました。
この一年の間、私の身の回りににはたくさんの不幸な出来事がありました。私達は予想もしなかった不幸に突然おそわれると、まだおこりもしない未来のことにまで不安や恐れをいだいてしまい、生きていくことがとても大変なことの様に思いがちですが、マタイによる福音書六章三四節に「あすのことを思いわずらうな。あすのことはあす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労はその日一日だけで十分である」とあります。この御言葉は、神様が私にあたえてくださった今日一日を全てのことに感謝し、精一杯生きることをおしえてくださいました。私は苦しみの中で、十字架のイエス様は私の罪のあがない主だということを再認識し、イエス様をより近くに感じることが出来るようになりました。現在もまだ、多くの試練の中にありますが、試練を通して私を信仰の原点へともどしてくださった神様のはかりしれないあわれみに心から感謝しております。又、この世で、目に見えるもので頼りになるもの等、何もなく、何事も、神様の祝福がなければ成り立たず、全ては、この世の創り主であられる神様の御手の中にあることを学びました。私はこれからの人生を主に信頼し、全てを神様の御手におゆだねして、イエス様に愛されている者としてふさわしく歩みたいと思っております。
「神は、神を愛する者たち、すなわち、御計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、私たちは知っている。」(ローマ人への手紙8章28節)
そんな私がキリスト教に出会ったのは、日本で、主人と結婚してからでした。主人はクリスチャンで、祖父は生前牧師をしていましたので、幼い頃から、日曜日には家族そろって礼拝に出かけ、サンデースクールなどで多くのことを学んだそうです。まもなく、わたしたちに子供が与えられ、この子に幼児洗礼を受けさせたいという主人の希望で、私は生まれて初めて教会に行きました。その後主人は、私と一緒に日曜礼拝に出席することを望みましたが、「私はクリスチャンじゃないから行かない」と言って拒み続けました。あの頃の私は、決して聞く耳を持ちませんでした。キリスト教について何一つ知らない私に比べ、多くの知識を持った主人に引け目を感じていたのかもしれません。また、対等に話すことのできない悔しさから、あえて反発していたように思います。
ある時、主人の友人の行っているバプテスト教会の祈り会に私たちは誘われました。そこは牧師がアメリカ人で、英語の礼拝でしたので、信徒のほとんどが日本に来ている外国の方でした。ところが、その中に、日本人の女性がいらして、私に声をかけてくださり、聖書を持っていなかった私に、一冊の日英両語で書かれた新約聖書を貸してくださいました。この日は、アメリカから伝道者の男性が来ていて、その方の説教がありましたが、何の知識もない私には、退屈なだけでした。やがて説教も終わり、信徒の方たちとあいさつを交わし、私は借りていた聖書を先程の女性に返そうとしたところ、「この聖書はあなたに差し上げますので、ぜひ読んでみてください」と言われ、私は一瞬戸惑いましたが、お礼と共に、その聖書をいただいて帰りました。それから、何度となく、彼女から教会への誘いがありましたが、結局足を運ぶことはありませんでした。でも、あの時に彼女からいただいた 素晴しい贈り物によって、固く閉ざされていた私の心が開かれ、後に真実の神様に出会い、救いに預かることになったのです。初めて聖書という書物を手にして読んだ私は、その御言葉によって何とも言うことのできない平安が心に満たされるのを感じました。
それから、聖書を開く回数も増え、読むのが楽しくなった頃、主人の転勤で、ここサンディエゴに引っ越すことになりました。私にとっては初めての海外生活でしたので、すべてのことが思うようにいかず、不安と苛立ちの毎日でした。その不満を聞いてくれる相手もなく、それを主人にぶっつけていました。主人は、誰も知らない異国の地に暮らすことになった私を不憫に思ったのでしょう。私のひどい口調にも、ただ黙って聞き流してくれました。でも、そんな主人の態度に、私は余計に腹が立ち、「あなたは私のことなど全然心配していない」「あなたは冷たい人」と責め、非難するばかりで、決して自分を返り見ようとはしませんでした。
心の満たされない日々を過ごしている時、偶然にサンディエゴ教会の信徒の方とめぐり合うことになりました。それは、「偶然」でなく、神様の導きであったことは、後で分かるようになりました。昨年のクリスマス礼拝に、初めて、サンディエゴ教会に出席しました。それから教会に通い続け、聖書の御言葉を聞くうちに、自分の罪深い姿を見せられました。そして、こんな私のために十字架で血を流してくださったイエス様の深い愛に触れ、イエス・キリストを私の救い主として、心に迎え入れました。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書三・一六)私は、日本で、聖書というすばらしい贈り物をいただきましたが、その聖書の御言葉を通して、イエス・キリストとキリストがくださる永遠の命という、一番素晴らしい贈り物を、アメリカで受け取ることができたのです。
それからは、私のこころが少しずつ変化し、平安が与えられ、慣れない外国生活にも、主人、子供と共に感謝して暮らせるようになりました。その後、父の死、子供の耳の手術と、度重なる試練に会いましたが、イエス様がそのつど御言葉をもって私を励まし、導いてくださいました。「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(コリント人への第一の手紙十・一三)「なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を、生み出すことを知っているからである。」(ローマ人への手紙五・三−五)今、振り返ってみますと、これらの試練によって、私の信仰が揺るぎないものにされたように思います。父とは少しの間でしたが一緒に過ごす時が与えられ、最後の親孝行ができました。息子の耳も順調に回復しています。主の大きな救いの業に感謝すると共に、私をここまで守り導いてくださった主イエス・キリストの御名を心から賛美いたします。これからも、名前だけのクリスチャンとしてでなく、主イエス様との人格的な関係をしっかりと保ち続ける信仰生活を続けていきたいと願っています。
今から約二十年前の一九七六年のイースターに私は洗礼を受けました。幼稚園の頃からミッションスクールに通い、毎日の礼拝とお祈り、日曜日には教会に行くというのが私が物心ついてからの当たり前の生活でした。生まれる前からイエス様はいつも私のそばにいらして守り導いて下さることを信じて育ちました。ですから受洗もただ神様を信じて一生生きて行けたらと思い迷うことなく幼い時から培われてきた信仰を告白することができました。クリスチャンになって、ひと月もたたない時に最愛の祖母が亡くなり、今まで経験したことのない深い悲しみにおそわれましたが、その時も神様は私をなぐさめて下さいました。それから今まで辛いこと悲しいことに幾度も出会いましたが、そのたびに神様は試練から逃れる道を備えていて下さいました。(人生の)様々な決断をする時も、自分の思いなどはるかに超えた所で神様は私の行くべき道を備えていて下さいました。進学、留学就職、結婚とふり返ってみてもすべて、神様から与えられた御恵みです。
カリフォルニアに主人の転勤で住むようになって六年半子育てにおわれる日々でした。そんな生活の日々が次第に、感謝の少ない、文句の多いものになっていってしまったのです。主人が、夜遅くまで時には夜中まで働いて生計をたててくれ、私は育児に専念できることに感謝しなければいけないのに、家事や育児を手伝ってくれない事にはじまりすべての事に不満の多い文句ばかりの日々でした。教会にも子ども二人を連れて行っても、ナースリーで泣き叫ばれたりで、だんだん行かなくなってしまいました。自分でどうしてよいのかまったくわからず、ただどうぞ御導き下さいと祈る日々でした。昨年の四月より長男が日本人学校に入り、私は会社の関係でPTAの役員になってしまいました。どうして新米の私が役員名の?と嫌でいやで仕方なく引き受けたのですがこれが、何と神様が、私に与えて下さった道でした。同じ役員の中にこの教会の西井孝子さんがいらっしゃったのです。教会から離れ、もしかしたら神様からも離れていた私を神様は西井さんを通して「もどっていらっしゃい」と語りかけて下さいました。西井さんの御宅で開かれているバイブルスタディ、そして、日曜日の礼拝とこの一年で教会でも奉仕させていただくことまで神様が多くの恵みをお与え下さいました。そして多くの主にある兄弟姉妹方とお会いする事ができました。
ある夜、お化粧をおとして、アーッ疲れたとため息をついた私の心に与えられた御言葉が「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさいすべての事について、感謝しなさい。」でした。文句ばかりを夫や子ども達に言っている私に忘れる事のできない神様からの語りかけでした。一年前にはまったく存じ上げなかった西井さんが迷っていた私をこの教会に導いて下さった事また神様が西井さんを用いて下さった事に心から感謝の気持ちで一杯です。もし、今、洗礼を受けようか、教会に行こうかと迷い悩んでいる方がいらっしゃるならばどうぞ思い切ってすべてを神様におまかせになられる事をおすすめいたします。ピリピ四章六節にあるように何事も思い煩わず感謝と祈りと願いをもって求めるところを神様に申し上げて下さい。クリスチャンになる前もなった後も、辛く、苦しく、悲しいことはたくさんあるかもしれません。でも、必ず神様がそばにいて下さいます。本当に迷わないでイエス様についていって下さい。これこそ正真正銘の"Life Time Guaranteed"です。いいえ"Foever Guaranteed"なのですから!
そんなある日、婦人宣教師が何度もトラクト、チラシを持って教会に誘って下さいましたので、子供三人を連れて通うようになりました。しかし、私の心は石のように固く、信じようとせず、聖書は難しくて分からないと考えていました。本当は私がわがままでつっぱり屋だったのです。
次女は中学一年生の時神様を信じて受洗し、大変熱心に教会通いがはじまりました。それから一年後、私達は家族全部でもう一度こちらに戻ってきました。今年で三一年目になります。これまでの次女の変わりように私達はただ驚くばかりでした。主人までが「あの子は変わったなあ」と言う程に神様が成長させてくださいました。羽鳥明先生がアメリカにお見えになりました時に日本で働き人の少ないことを娘が聞きまして献身し、日本のPBA太平洋放送協会のセクレタリーとして二年間ご奉仕をしました。三年目に宣教師の大谷と結婚しまして埼玉県で開拓伝道を二十年間し、いまこちらに戻ってオレンジカウンティホーリネス教会員となりました。
少し話が前に戻りますが、私は五年ばかり離れていました教会へも娘に励まされながら行くようになりましたが、私の信仰はいいかげんでした。アメリカに戻りましてからちょうど十年目に、思いもかけない神様からのプレゼントで日本の娘たちを訪ねることができました。毎日命がけでの真剣な伝道の働きぶりを見ることができ、今までの自分の信仰がどれだけなまぬるいものであったかを反省させられました。これではいけない、もっと熱心に聖書に取り組まなくてはと思い、まわりの本をいっさいかたづけてしまい、分かっても分からなくても聖書を読み続けようと決心をしました。「御言葉をください、分からせて下さい。」と祈りながら六ヵ月で読み通しました。お言葉が与えられました。
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」(Uテモテ三・一六)「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。」(マタイ二二・三七)でも、私はずっと心の中に悪い思いがあって相手を赦すことができないでいました。もうこればかりはどんな事があっても決して許すべきではないという思いを長いあいだひとりで心の奥底に秘めて持ち続けていました。
教会に女の坂口先生がお見えになり、同県人でしたので悩みをうちあけました。先生が帰られてから先生からの手紙が届きました。ただ「神は愛なり」と書かれていました。何度もこのお言葉を唱えてみました。一週間後に鈴木先生のメッセージで、それまで何度もイエス様の十字架について聞いてきましたが、その時、それは深く私に語りかけて下さいました。何の罪も汚れもない聖い正しいお方がひどい苦しみを受けて、私達の身代わりとなって下さり、その流された血によってわたしたちの罪を赦して下さいましたこと、人智では到底はかりしる事のできないその神様のあわれみと、深いご愛を知り、なんと今までの自分は醜い、汚い者であったかを示されまして、とめどもない涙が頬を伝わり止まりませんでした。そうしてこの苦しみを通して強く生きる者として下さいました。ヨハネの黙示録三・二〇のお言葉で神様がしきりに私によびかけて下さいました。
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼またわたしと食を共にするであろう。」
一九六七年に受洗しまして、信仰生活二五年になります。詩篇一一九・七一のお言葉どうり「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」と言うことができます。私の好きなお言葉は コリント一〇・一三です。「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないないような試練にあわせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(新改訳)日々、このお言葉に励まされながら、強められ支えられてまいりました。
サンディエゴ教会に来るきっかけとなりましたのは姉がすでにメンバーでその姉が「良い話を聞いてきた」と私に言うのです。当時、土・日は昼まで寝ていましたので、この生活をなんとかする為には、教会にでも行けば朝イヤでも起きなければならないし、ついでに姉の言う良い話も聞かれるのではと軽い気持ちで頼んで連れて来てもらいました。その時の内容はよく覚えておりませんが、「人間は生まれながらにして罪人です」と度も聞かされ、私は親に嘘をついた事はありましたが、他人にご迷惑もそんなにかけていないしと、何故そのように言われるのかととても不快な思いが一杯でした。しかし自分でもわかりませんが、続けて通っているうちに夏の修養会のお誘いを受けすんなりとついて行きました。その時は驚く事ばかり起こりました。第一に日常生活の中では使わないけれども、教会で良く聞くようになった悪魔という言葉にふさわしいような無気味な鳴き声がしその音に悪魔の声を聞くようで恐ろしく身動きもせず、ただじっと耐えておりました。その時「恐れてはならない、私はあなたと共にいる」との御言葉を与えられ不思議な安心感が広がりそれを機に眠りにおちた事でした。又翌日からの聖会はどういうわけか聖歌を賛美するたびに、講師のお話を聞く度に涙がポロポロ出て、自分でコントロール出来なくなりました。たくさんの方々が神を求め修養会に集まり、最初異様なものにみえた私にも終わりが近づく頃にはこの皆さんが信じている、このやさしさに満ちあふれた講師のお二人が信じていられる神様を信じる事は間違っていないと思うようになり涙の中で「イエス様を信じます」と告白致しました。一九八四年、夏の事でした。帰宅後主人に報告しましたら「一三年間祈っていたよ」と言われ本当にビックリ致しました。しかし、すぐ洗礼を受けたいと話しましたら、今は余りにも興奮をしすぎていると心を落ち着ける様にとストップをかけられました。自分でもそうかと納得しそのままにしていましたら「鉄は熱いうちに打て」とかいろいろ言われましたが聞き流しておりました。『すべての事には時がある』と聖書にありますがこの時がその時でしたのでしょう。翌年のイースター前にどうしても神様の子とさせていただきたい思いにかられ洗礼をお願い致しまして一九八五年四月七日のースターに受洗致しました。しかし正直に申しますと、自分が罪人であることも、十字架上のイエス様の死が自分の罪のあがないの為である事も説教を通し聞き知ってはいても、自分では解決されていませんでした。しかし、神様は二、三年後だったと思いますが、水曜夜の祈祷会に出席したのですがロマ書七章を学んでいる時、その七節「律法を知らなければ私は罪を知らなかったであろう」という御言葉を通しはっきり示して下さいました。この御言葉を開いた時、モーセの十戒が思い浮かび、たった二、三思い出しただけでしたが私には守られていない事を知らされ、私は自分が罪人と認めざるをえませんでした。その夜は、あとの話は一切頭に入らずただ心の中で「神様ゴメンナサイ」とガタガタふるえてしまいました。神様と心のどこかで戦っていた自分は見事に負けてくずれてしまったからです。そして、いろいろな事がありまして教会からも離れてしまいましたが、私の心の中でいつもイエス様がいてくださる事は信じてまいりました。
幸いにしてこの度、中尾先生をこの教会に神様がおつかわし下さり数回出席しているうちにともすれば消えそうであった私の信仰の弱さを気づかされ又、親がだまって出ていた子供を心配し、悲しむように、教会から離れた自分は神様をどんなに悲しませた事であろうかと先生を通し教え示されました。こののちもいろいろな事を経験するでしょう。弱い私ですが神様のお守りの中にクリスチャンとしての歩みを続けてまいりたく思っております。『だれでもキリストにあるならばその人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。』第二コリント五章一七節
農業の夫との間に子供ができました。ところが難産のため産後が悪く、医者にかかりながら家業を手伝っていました。そんなわたしを見て、セブンスデーの信徒の伊藤さんと言う方が「この本はキリストの教えだからこれを読みなさい。神様は病気をなおしてくださるお方です。」と言って、わたしに一冊の本をくださいました。それは文語訳聖書でした。でも、キリスト教について何も知らなかったわたしには、聖書は読んでも分からないものと思い、棚においたままにしていました。しかし体の弱いわたしの力になってくれるものがほしいと、他の色々な本を読みましたが、そうしたものからは何の力も得ることはできませんでした。
娘は四才になっていましたが、日本語ばかりしか使わなかったので、それでは学校に行った時に困るからと、主人の妹に言われて、娘をサンディエゴ・ホーリーネス教会のサンデースクールに通わせることにしました。前はこの教会はホーリネス教会と言っていたのです。「教会で何を習っているの」と聞くと、「イエス様はいつもわたしのそばにいらっしゃるから、わたしは嘘を言ったり、悪いことをしたりできないの。友だちのママ逹も教会に来ているからママも行こうよ」と日曜ごとに言われました。わたしは、「農家は忙しいからね。そのうちにね。」と答えていました。農繁期にはサンデースクールを休ませていました。そうすると娘は一日中教会のことばかり言っていました。そして、サンデースクールを休ませた日は必ず八尋先生が「どうしましたか。今日は見えませんでしたね。」と訪問してくださり、畑の中でお祈りして「次の日曜日お会いしましょう。」と娘に言って帰られるのです。そのころ、教会には英語部、日語部専任の牧師がなく、八尋先生が両方を指導しておられました。日語部は農家の方々がほとんどで、日本から農業研修に来ていた、「短農生」と呼ばる青年たちも大勢来ていました。今とは違って、ほとんど男性ばかりの教会でした。八尋先生はそうした方々をよく訪問し、「イエス様を信じられなくても、八尋先生は信じられる」と、言われたほど、みんなから信頼されていました。それは先生が公私のけじめをきちんと守っておられた潔癖な方だったからだと思います。
そんなある日、今度は八尋先生がご夫妻でお見えになり、「土曜日にシカゴからいらっしゃる村上さんの証しがありますから、ぜひ来て下さい。」とわたしたち夫婦を招待してくださいました。遠方のところを訪問して下さった先生ご夫妻にお答えしなければと、主人と二人で教会にいきました。一世の方ばかりで、暖かく迎えて下さいました。そのときの村上さんのお話は良く覚えていませんが、わたしの力になってくださる方はイエス様だと分かりました。村上さんのお話の中に「教会に来る時間を作りなさい。」という言葉がありましたが、それはわたしに向かって言われたように思えました。わたしは 「明日の日曜日、教会に行きます。」と決心しました。娘はとても喜んでくれました。
礼拝に出て、先生のお話を聞くうちに、難しいと思っていた聖書も、すこしづつ分かるようになってきました。英語の礼拝も、日本語の礼拝も同じメッセージでしたので、娘と聞いたメッセージについて話し合うことができ、また、祈りあうことができました。八尋先生は誰に対しても強制的なことは言いませんでした。ただひとりひとりのために良く祈ってくださいました。私は、神様が祈りに答えてくださるお方だということを身をもって知りました。はじめて教会に行ったのが、夏でしたが、それから数か月後、素直にイエス様を私の罪からの救い主と信じることができました。そして娘と共に、八尋先生より洗礼を受けました。「汝われを選びしにあらず、我汝を選べり。」(ヨハネ一五・一六)神様がわたしたち親子を一緒に選んで下さっていたのです。喜びいっぱいで見るものが明るくなりました。一九五八年の感謝祭の日でした。また、翌年のイースターのメッセージでイエス様の十字架が語られた時、私はあらためてイエス様の十字架が、私のためであったことを知り、イエス様にすべてをまかせてお従いする決心をすることができました。それから今まで、神様は言い尽くせないほどの恵みをお与えくださいました。神様のあわれみにこころか感謝し、主をほめたたえます。