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サンディエゴ教会あかし集  1996年12月

=第5号= 目  次

心の戸を開いて………………バートン 鈴子
信仰への道………………カトル ボブ
サンディエゴ教会に導かれるまで………………ディックス 京子
イエス様は救い主………………アーリー 米子
神様へのラブレター………………楠 佳恵子
ディズニーランドで働いておられた神様………………藤間 ロイ
十字架の愛を知って………………ヴォイタレヴィッツ 美樹




心の戸を開いて

バートン 鈴子

 一九八五年、アメリカ人の主人と結婚し、主人のいるサンディエゴにやって来ました。来てまもなく、マーシャル初音さんと出会いました。彼女は、当時、車の運転ができなかった私を毎週教会に連れてきてくれました。牧師先生のお話しに、どうしても私の心に引っかかるものがありました。それは、「人間は罪人だ」ということです。私は、「生長の家」の宗教に熱心な母親から「人間は神の子」と教えられてきましたので、自分が罪人だということを認めることができなかったのです。いつもこの言葉が出るたびに、私には関係ないと、そこだけぬかして聞いていました。このように、自分の聞きたいところだけを聞くという自分勝手な姿勢だったので、そのうちに教会から足が遠のいて行きました。

 しかし、三人目の子どもが生まれた頃に、まわりのお友達に誘われて、また、教会に行き初めました。育児の事、結婚生活、仕事のことでの悩みがあって、私は自分の人生ではじめて、自分の力だけではどうしても解決のできないことがあることを感じました。再び戻って来た教会で聞くメッセージは、私の心にどんどんと入って来ました。神のことばによって自分の心が照らされる時、私の内側に汚いものがあることが分かってきました。主人とうまくいかなかったことを通して、神様は私の内に、高慢や強情な心があることを知らせてくださいました。幼い三人の子どもたちを通して、自分の心の狭さをいやというほど知らされました。そして、こうしたことが自分の罪だったということを認められるようになりました。

 神様は、私たちを神のかたちに、すばらしく造ってくださいました。その意味では、人間は神の子なのでしょう。しかし、人間は、自分の罪によって、その神のかたちを傷つけ、だいなしにしてしまいました。神様に素晴らしく造られていながら、造り主である神様から遠く離れ、まったく神の子らしくない生活をしているのです。そのような私たちを神様はなお愛してくださって、ご自分のひとり子イエス・キリストを私たちの救い主として世に遣わしてくださいました。イエス様によって、私たちは新しく造り変えられ、本当の意味で神の子としていただけるのです。私はこのことを知りながらも、心の中にいろいろな疑問があって、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れるということができないでいました。

 しかし、私の疑問は、聖書を学ぶことによって解決されるものであり、聖書は答をもっていることがようやく分かってきました。私の本当の問題は、イエス様を心から閉め出していたことだったのです。心の中で犯す罪、愛のない言葉で人を傷つけること、そうした罪以上にもっと大きな罪は、神様が送ってくださった救い主を受け入れないということです。そんな私に神様は、六才の息子翔の口を通じてこのことを私に示して下さいました。V.B.S.に参加した三人の子供たちを連れて帰る途中、翔が突然大きな声で、"Jesus knocked the door,so I let him in!" と叫んだのです。このことばに私はびっくりしました。息子の口を通して、神様は「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」(ヨハネの黙示録三・二十)とのみことばを語りかけてくださったのです。この時私は、子供のように素直に心を開いて、イエス様を招き入ればよいことが、はっきり分かったのです。私は長い間、イエス様が私の心の戸をノックしておられたのに、それに答えませんでした。いま、その罪を悔い改め、イエス様が、私の罪のため十字架に死に、私を救うため三日目に死人のうちからよみがえってくださったことを信じます。私はまだまだ神様のこと、イエス様のことを十分に知りませんが、まず、イエス様を心に迎え入れ、それからイエス様とのまじわりを深めて行きたいと願っています。

 多くの方々が私のために祈ってくださったことを感謝します。これからも、私がみことばによって成長させていただけますよう、お祈りください。

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信仰への道

カトル ボブ

 私はノースカロライナの田舎で生まれ育ってきました。子供の時からサザンバプテストチャーチに通っていましたが、十四才のとき、ペンテコステ・ホーリネスの神に献身しようと考え、深く傾倒し洗礼を受けました。そのような献身、洗礼にもかかわらず、日々の生活は必ずしも神様に根づいたものではありませんでした。クリスチャンとしての精神的成長は与えられなかったと思います。十七才で学校を止め、海軍に入隊し、その後三〇数年は教会から遠ざかって暮らしていました。進化論やビッグバンの説の方が神様の創造論より納得がいくような気がしていたのです。

 一九六二年に富士野と結婚し、一九七四年の八月に娘のヨウ子を養女に迎えました。一九七五年に海軍を除隊し、その後ずっと今の家のあるナショナルシティに住んでいます。

 一九八五年の十一月に妻の富士野が教会へ行こうと言い出しました。それは娘のヨウ子に何とか教会を知ってもらいたいという願いから出たものでした。教会に行くようになった時、富士野と私の二人の方が教会の影響を娘より多く受ける事に成りました。次の日曜日にサンディエゴ教会に初めて訪れ、それ以来ずっとこの教会に通っています。一九八六年の母の日に牧師の関口先生の説教を聞いたとき、これまで何回も聞いていた説教とは全く違う感動を受けました。そのときはすぐに何か行動をとったわけではないのですが、家に帰ってからひざまずき神様にどうぞ自分の人生に神様が入ってきてほしいと切に願いました。まだ家族の中には色々問題がありました。でも問題が起きても、以前の神様を知らずに怒っていたときに比べたら、祝福されていると感じる今の方がはるかに心は安らかです。奉仕してた間には色々と大変な事もありましたが、多くは喜びでありました。神様を信じることを学び、自分の問題を神様の御手にゆだねることを毎日学んでいます。教会のメンバーがキリストにあって一つになっていくことが出来るように祈っています。

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サンディエゴ教会に導かれるまで

ディックス 京子

 私が初めて聖書を手にしたのは一九五七年の一月、今の主人との結婚手続きを始めた時でした。アメリカ軍のチャプレンより教会のバイブル・クラスへ通って聖書の勉強をし,定められた回数のクラスが終わったら牧師の証明書を持って来るようにと言われましたので、早速近くにあるバプテイスト教会へ行き牧師先生にそのことをはなし、次からの祈り会に出席させて頂くことになり、それから私の聖書研究が始まりました。最初はただ義務的に毎週クラスへ通っていましたが其の内に段々とみ言葉が私の心を捕えて来ました。マタイの福音書から学んでゆきましたがイエス様の誕生の様子、また、いろいろと奇跡を行われて人々をいやして下さったこと、今までにない心の満たしになってゆきました。神様は愛の御方であり私達人類の救いのために御子イエスを十字架にかけてその愛を示して下さった事、イエス様の山上の垂訓、学べば学ぶほど私は心を打たれバイブル・クラスが終わった後も日曜日の礼拝にも出席する様になりました。

 それから少し経ったある聖日礼拝の日、アメリカの宣教師がその教会へ来てお説教して下さり、私はそれまで思ってもいなかったことが私の罪である事に気づき悔い改めて洗礼を受ける決心をしました。私の両親はとても仲が悪く何時も喧嘩が絶えず私たちは怖い思いをして育ったので父を大変憎んで居ました。でも母にも悪いところがあったのですがその時は母の肩ばかりもって居ました。父は病身であまり働きがなかったので母が働いて一家を立てていたようなものでした。そんなことも重なっていたようですが何時も私は父に口返答ばかりして困らせて居ました。でもイエス様の愛を知ってからはなんと気持ちが晴れやかになり父にも優しさを示すことが出来るようになりました。

 それから三カ月後の四月十八日イースター礼拝の日に私は佐世保バプティスト教会に於いてそこの牧師先生より洗礼を受けました。其の後丸一年たった四月二日、軍の許可も降りて晴れて主人と結婚することができました、でもそのときは既に海上勤務になっていたので、ホーム・ポートの横須賀に移住しました。其れから間もなくでしたが、九月のはじめに主人が帰国命令を受けたので私も共に渡米する事になりました。加州ロング・ビーチでの生活は子供達を育てるのに精一杯で又主人の留守が多かったために教会生活はほとんどできませんでした。勿論日本人の教会等在るとは夢にも思っていませんでしたので、主人が家にいるときには子供たちを彼に任して、近所の奥さんに誘われるままアメリカ人の教会へ行っていました。勿論定期的に教会に通える筈はなく又、二〜三年毎には勤務異動でしたので、あまり落ち着いて教会生活も出来ず、何と無く二十年過ぎてしまいました。

 主人のリタイヤー後はサンディエゴに永住する為に新しい家を求め、主人も新しい職に付き、私にも職が見つかり、子供達も成長して手が掛からなくなったので一安堵している時に、思いがけない災難がやってきました。主人が大病で大きな手術を二度も受けました。二度目の手術の時はドクターが大丈夫だから仕事に行っても良いですと言われましたので気になリながらも仕事へ行き時計ばっかり見て、あまり落ち着かず、色々と悪い事ばっかり想像しながら仕事をしていました。そうこうしている時に、私に電話が掛かり誰かが死んだとのメッセージを受け私は、主人の死と勘違いして、目の前が真っ暗になり気が遠くなってしまいました。それでも気を取り直して色々と考えはじめ、此れから先子供達を独りで育てるのにどうすれば良いのか,又三人のティーンエイジヤーの子供達をどうして指導出来るだろうかなど、いろいろ思い煩い頭も混乱状態となってしまいました。それでも、とにかく病院へ駈けつけましたが途中で神様に問いかけ、「どうして私がこんな目に合わなければならないのですか?」とか不満を訴えて居ました。後で解ったのは日本にいる父の死でした。悲しいことでしたけどあまりにも主人の事が頭いっぱいで整理がつかずぼやっとなって居たのでした。

 その時ふっと私の不信仰が示されました。私はなんと思い上った人間なのかと,又私は神様に不満の心をもって神様をないがしろにしていたのでした。それでもやはり神様は愛のお方であり私のような取るに足りない者でも試練を与えて神様の所へもどって来るようにと、お働きになって居られるのだと示され、私は無我夢中で神様に祈りました。そして教会を探し求めようと願い,熱心なクリスチャンのお友達に相談に行きました。彼女はアメリカ人の教会に通っていましたが、込み入った話しはやはり日本人の牧師さんの方がお話し易いし、解りやすいだろうと考慮して下さり、サンディエゴ教会の吹上先生を紹介して下さいました。先生の暖かい態度と熱心なお祈りに私の心にも平安が与えられ,其れからは主人の看病や仕事の許す限り努めて水曜日の夜の祈り会を守り、日曜日の礼拝には欠かさず出席するようになりました。それから六ヶ月後主人も全く癒され、新しい職も与えられて私達家族にもふたたび平安が戻ってきました。もしあの時、私の心にイエス様をうけいれず自分自身の判断で行動していたらと今考えてみるとぞっとする思いです。ほんとうに神様は憐れみぶかく私達に試練を与えられるのですが又、如何なる苦しみにも耐えられるように同時に逃れる道をも備えてくださる御言葉を信じ感謝しつつ一日一日を歩ませていただいております。

 一九七六年のイースター、この教会のメンバーになるために、受洗準備のクラスに加わり心を入れ替え、これからは決して教会を離れないと神様に誓い、再び洗礼を受けました。同胞の兄弟姉妹と日本語で礼拝を捧げる事の出来る恵みを与えて下さった神様に心より感謝しております。最後に私の好きな聖句を書かせていただきます。「すべて重荷を負って苦労して居る者はわたしのもとに来なさい,わたしが休ませて上げよう。」(マタイ十一・二八)

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イエス様は救い主

アーリー 米子

 私は清水次郎長で有名な静岡県清水市三保で兄姉四人の末っ子として生まれました。私の両親は温室で花や果物又は野菜を作るビジネスをしておりました。私の祖父が若い頃にカルホルニヤに移民して、やはり温室栽培の花や野菜を作る仕事で成功したそうです。その祖父がリタイヤーした後、私の父に同じビジネスをするようにお金を送ってくれたようです。昭和二二年頃の日本ではまだそのような仕事はめずらしく、その後ベトナム戦争が始まってアメリカ軍からもトマトの買い上げがあったそうです。グリーンハウスはそのうちにいくつも増えて行き、きれいな花が咲いていたのを今でも思い出します。

 私は結婚するまでは両親に愛され何にも不自由なく育ちました。二一才の時兄の仕事の間係で知り合ったアメリカ人と結婚しアメリカのカンサスシティ・ミゾーリー州に来ました。四二年前の事です。しばらくして男の子が二人出来ました。それから主人はお酒や女性関係の問題に走り、私は色々悩まされ二人の子供を連れて家を出ました。子供を育てるため縫い物の仕事につきました。それから三年して、二度目の主人と出逢いました。そして娘が生まれました。結婚当事、最初は良かったのですがそのうち彼もひどいアルコホーリックで仕事についてもすぐ止めてしまう事が数え切れない程ありました。時には酒に酔って帰り、寝ている私や子供たちを起こしてどなったりしました。そのうち主人はある罪を犯し三年間刑務所に入りました。そして私は三人の子供を抱えて縫い物の仕事を続けました。雪の降る朝、子供たちを早く起こしてベビーシッターの所へ連れて行く時は身の切られるような思いでした。三人の子供をかかえて唯一の収入といえば自分の働きだけ、日本だったら兄姉がいるから助けてもらえるのにと思い、どうしてアメリカまで来てこんな苦労しなければいけないかと自分が哀れに思われました。子供たちさえ居なかったら日本に帰られるのにと思ったりもしました。精神的にくたくたに疲れて主人との関係もますます悪くなって来ました。

 この主人とは二十年間も結婚してやっと離婚する決心をしました。子供たちには苦労をかけましたが皆母親思いで親孝行でした。そして長男は軍に入隊しました。それで給料の半分は「お母さんの生活のたしにして下さい」と毎月送ってくれました。下の娘はネービーの人と結婚しこのサンディエゴに移って来ました。十年位前に娘夫婦に逢いに来た時、カンサスシティーのお友達を通して紹介されたライオンズ玉子姉と知り合い礼拝にも二、三度出席しました。二年前に私が三十年勤めた仕事をリタイヤーした時、娘が「そちらは寒いからこちらに来て一緒に住まないか」と言ってくれました。長男もサン・マーカスに住んで居りますのでそれでこちらに来ることになりました。

 それまで私はキリスト教会に三、四度行きましたがイエス・キリスト様の事など良く分かりませんでした。ただ歴史に有名な人ぐらいに思っていました。教会の礼拝、サポートグループ(葦の会)に参加して、教会の方たちのやさしい気持ちにふれ、この教会こそ私が長い間求めていた心の安らぎの場所だと思いました。昨年のマザースデイに娘から何か欲しい者をプレゼントしてくれると言われまして私は「皆とサンタ・バーバラの修養会に行きたい」と言いましたら彼女は其の費用を全部出してくれました。そこで田中先生のお話しを聞き、心に安らぎを与えられました。又先生が「イエス様を心に迎えてついて行こうと思う人は立って下さい」と言われた時、何かに押し出され、気が付いた時には立っていました。その後スモールグループに分れた時、中尾先生が私のためにお祈りをして下さいました。帰って来てから毎週礼拝でのお話しを聞くのが楽しみになって来ました。

 昔は自分が罪人だとは思ったこともありませんでした。人から悪いことをされることはあっても、私からはしたことはないと思っていました。でも今では自分が罪人であって、私の罪のためにイエス様が十字架にかかって苦しんで死んで下さった事が分かるようになり、自分の罪を悔い改めてイエス様を私の救い主として信じることができました。今、大勢の人々の前でイエス様を告白できるのは、奇跡としか言いようがありません。過去を振り返って見る時、色々な事がありましたが、もし苦しみにあわなかったら私は教会にも来なかったと思います。また、イエスキリスト様を知る事も無かったでしょう。詩篇一一九篇七一節に「苦しみにあった事は、私によい事です。これによって私はあなたのおきてを学ぶ事が出来ました」とあります。この御言葉に私は心からアーメンと言う事が出来るようになりました。最後に御言葉によって証しを終わらせていただきます。

 「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。それだけではなく、艱難をも喜んでいる。」(ローマ五章一〜三節)「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実をむすばせるようになる。」(ヘブル一二章一一節)

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神様へのラブレター

楠 佳恵子

 私は一九六二年名古屋で生まれて、祖父母、両親そして弟とにぎやかな六人家族の中、ほとんど祖父母に育てられました。勝ち気な祖母が家の実権を握り、父は養子という立場のためか、強い性格にもかかわらず、ずっと自分を押さえ、決して明るい家庭ではありませんでした。両親は弟をかわいがり、私は両親の愛情に飢えて育ち、徐々に父を嫌うようになりました。学生時代は真面目でしたが、短大を出てOLになり、お金を稼げるようになると、お酒や夜遊びを覚え、自分勝手な生き方をするようになりました。両親とあまり口をきかず、見返した気持ちになっていたのです。

 そんな中、二四歳でOLを辞め、エアロビクス・インストラクターとして仕事を始めました。次の年には、自分を磨くためロサンゼルスに渡り、スタジオを廻ったり、コンベンションに参加しました。家族や周りにずっと意地を張って生きていた私は、カリフォルニアの気楽でフレンドリーな人々に肩の力が抜ける思いを味わい、それ以後毎年訪れるようになりました。二七歳の春、私は一人のクリスチャン女性と仲良くなり、他の人とどこか違う彼女に魅かれて、共に聖書研究などに参加し、福音を聞くようになりました。そしてその夏、ロサンゼルス滞在中に、彼女から紹介されたオレンジカウンテー・ホーリネス教会に出席し、私はまるでずっと捜していた本当の家に帰ったような安らぎと暖かさを感じて、「ここなら、本当の私を受け入れてくれるかもしれない。」と思いました。数日後、ロスからナッシュビルに向かう飛行機の中、眼下に広がる広大なグランドキャニオンを見て、心が大きく動かされ、「こんなすばらしい地球を今あるのは、神が存在するからに違いない!」と思い、「神様、私はあなたの仕事がしたい!私はここにいます。」とラブレターを書いたのです。

 そしてそれはすぐに聞かれ、帰国後私はクリスチャンの友人に罪を告白し、共に祈り励ましてもらい、イエス様を信じるよう勧められました。しかし異宗教に囲まれて育った私は、イエス様がまことに唯一の神と信じきれず、確信を求める祈りを始めたのです。一九八九年九月のある夜、その事を考えながらベッドに入る用意をしていた時、突然金縛りのように体が動かなくなり、非常に大きな恐怖を感じたのです。サタンが部屋を囲み、襲いかかってくるかのようでした。やっと動けるようになりベッドに入っても恐れは取れず、口の中で「神様、神様」とつぶやきながら眠りに入っていきました。と突然「私は主である。」というはっきりした言葉に起こされました。あまりにクリアだったのでびっくりしたのですが、変わらずサタンが外にいる気配を感じていたので、また神様に祈りながら眠りに入っていきました。すると再度あの言葉に起こされ、その夜何度も起こされ続けたのです。最後には「わかりました。イエス様あなたがこの世を造られた唯一の神と信じます。」と祈り平安をいただきました。遠くの方で雷が鳴り、「ああ、イエス様がサタンを取り除いて下さった。」という安心感の中で熟睡できたのです。次の朝、全てが輝いていて、心の中にワクワクする喜びを感じながら、賛美して仕事に向かいました。私の中にイエス様が共にいてくださったからです。その後、あの友人を通して自分の罪を悔い改め、人の前でイエス様を私の神として告白し、一九九〇年三月にバプテスマを受けたのです。

 「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」(ローマ一章二十節)神の子とされた今、ラブレターを書いた通り、神様の仕事をしたいと心から願っています。

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ディズニーランドで働いておられた神様

藤間 ロイ

 私はカリフォルニアのロサンジェルスで生まれ、その後オレンジカウンテイ ―のラ、パルマという小さな市で二人の姉と弟と共に育ちました。父は建設業にたずさわり、母は食料品店で働いていました。二人ともよく働く人達で、そのおかげで私達は何不自由なく暮らすことができました。宗教教育については、特定の宗教を教えられてはいませんでしたが、母はある一時期仏教を信仰したようです。ちょうど私の一番上の姉と母との間に問題が生じた時で、しかしそれもわずか一年程の間続いただけでした。私がそれを知っていたのは、皆が寝静まった夜遅く、母がお経を唱えていたのを聞いていたからですが、時に母は泣いて姉のために祈っていました。神に関して、母が私に教えたことで最も影響を与えたことは、「神様はいつも上から私達を見ているから、もし悪いことをしたならそれを知って、罰するでしょう。」というものでした。子供心にこれは恐ろしい考えでした。神に対する私のイメージは、年寄りの白いひげをはやした人が、私達が何か悪事をしないかどうか空の上で見ているというものでした。今になって母がこのようにこわがらせたのは、結局良いことをしてほしかったからだとわかりますが、この効果があったのか私は比較的良い子供として育ちました。

 成長するにつれて、私は運動をよくするようになり、高校ではレスリングを、また数年間空手を習っていました。ここで私は良い友人関係を育てることが出来、自己認識も高く持てるようになりました。私はそこに来ていたクリスチャンの男性に、私の神は空手であると言った覚えがあります。彼はやんわりとそれに反論しましたが、私はその時たいして深く考えもしませんでした。しかしハルは私が最初に出会った、真剣に信仰のことを考えているクリスチャンでした。私は大学に行き、そこで社会正義を守る仕事を自分の職業にしようと決めました。警察官になろうと思っていたのです。それは尊敬される仕事ですし、また自分でもうまく出来る仕事のように思えました。この両方の事は私にはとても大事だったのです。

 大学在学中にデイ ズニーランドのギフトショップでアルバイトを見つけ、そこで私は数人のクリスチャンに出会いました。その人達は、今まで出会った人達とはとても違っていました。私には最初それが何故だかわかりませんでしたが、彼らの周りには喜びがあるのは知っていました。私はこの人達と親しくなり、そのうち彼らの持つ信仰についても興味を覚えるようになりました。ある金曜の夜、従業員の何人かがパーティを開きました。そこにはクリスチャンもノンクリスチャンもいたわけです。その晩、私は酒に飲まれてしまい、ひどく酔っ払って、二度とやり直しのきかないような、みだらな行為を行ってしまいました。翌日、私は大変恥ずかしい思いで職場にいかなければならず、クリスチャンの友達に会うのがとても恐かったのです。彼らのアルコールと不道徳に反対する強い信念を知っていたので、これで自分への尊敬も、彼らとの友情も失ってしまうものと思っていました。それは私にとっては大変大きな損失でした。しかし驚いたことに彼らは皆、以前と何の変わり無く私に接してくれました。この時私は生まれて初めて、無条件の愛というものを経験したのです。私にはそれまで、良いも悪いもすべてを含めた、ありのままの自分を受け入れてくれた人などいませんでした。この時から、私は信仰についてもっと質問をするようになり、教会にも通いはじめました。

 ある教会で、牧師が私に会いたいと言い、その週に私の所へ来てくれて、イエスキリストが神であり、私の罪の為に死んでくださったこと、神との関係が持てる唯一の方法は、イエスキリストを自分の人生に迎え入れ、キリストに、主としてまた司令官、支配者として自分の人生を委ねることだと話してくれました。姉のジョーイと私がイエス様に私達の中に入っていただくように祈ったのは、一九八〇年の十月の夜のことです。私は、デイ ズニーランドで一緒に働いていた人達が、他の人達と違っていたものが何だったのか分かり始めたのです。それは神の平安でした。それはイエス・キリストとの関係を持たなければ、理解することの出来ないものでした。

 私がイエス様に従おうと決心したとき、一つの条件を出したのですが、それは知らない人を回心させるために、決して一軒一軒家を回ったりしないというものでした。ところが二ヶ月後、私はクリスチャンの会議に出席し、その最終日にショッピングモールに行って、見ず知らずの人にイエス様のことを伝えたのです。私は緊張して身がすくむ程だったのですが、これは自分の人生を変えるほどの大きな経験となりました。神が私にさえご自分の仕事をさせてくださったのが、初めてわかったのでした。また人々が、神のことをとても知りたがっていることもわかったのです。私は大学のクリスチャングループに入って、そこで他の人にキリストを伝える方法を学び、訓練を受けました。

 それ以来、良い時も悪い時もありましたが、神はいつもいてくださいました。この新しい信仰のことで、友達や家族からからかわれましたが、弟は多分その中でも一番ひどかったように思います。しかしその弟が二年後イエス様に従う決心をしました。わたしには、天国の永遠の命と、人知を超えた平安を与えて下さるイエス様に人を導くより他に、大きな喜びを見つけることは出来ません。現在私は神学校で学んでいますが、いつか牧師になりたいと思っています。

 「わたしは福音を恥じとはしない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、すべて信じる者に、救いを得させる神の力である。」ローマ一・一六

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十字架の愛を知って

ヴォイタレヴィッツ 美樹

 私がはじめてイエス様のことを知ったのは、キリスト教の幼稚園に通っていた時のことです。はっきり言って、その頃の記憶はほとんどないのですが、一日が祈りにはじまり、祈りで終わったことと、「あなたの父と母を敬え」と教わったのを覚えています。それ以来、このサンディエゴに来るまで、宗教というものに興味がなかったので、無関係でした。

 一九九〇年にサンディエゴに来て、しばらくしてから、主人が教会へ行きたいと言いはじめました。別にいやでもなかったので、主人が電話帳で自分の生きたい系列の教会で近い所を選び、足を運ぶようになりました。しかし、私には、英語での説教は全く分からず、またそんな時、主人が近くのバイブルストアーで「サンディエゴには日系の教会がある」と言うのを聞き、九十年の九月にはじめてこの教会をおとずれました。上の子が翌月の十月に生まれるまで二、三度足を運びましたが、その時は、はじめての出産や育児に対する喜びや不安で一杯でしたので、信仰の事には心が向かず、ただ教会に出席していただけでした。

 はじめての出産を終えたばかりで、体も疲れ、寝不足があたりまえという頃、主人がまた教会へ行こうと誘ってきましたが、その頃の私はそんな暇があるくらいなら、一分でも一秒でも寝る時間が欲しかったのです。主人も一人では行かないだろうと思っていたので、「ひとりで行ってくれば」と行ったら、さっさとひとりで行ってしまったのです。そんな主人に非常に頭にきました。しばらくそんな事が続き、教会へ行く、行かないということで喧嘩がはじまりました。その頃、主人は「天国に行きたいから」という理由で教会へ行っていろいろ学ぼうとしていたのですが、「はじめての出産を終え、慣れない育児と寝不足で疲れきっている奥さんをかえりみないような人が天国に行けるわけなんかない」と、私は腹を立ててしまいました。それで、主人は教会に行くのをやめ、また、教会のことを口にしないようにしていました。

 しばらくして、育児にも慣れて来た頃、今度は私の方から教会へ行こうと誘い始めました。理由はと言うと、その頃母から、「最近、家の中や身近なところで、あまり良くないことが続くので、『苦しい時の神頼み』じゃ何もならないから、朝・晩仏様に手をあわせているんだよ」と聞いたのが、きっかけでした。私も、都合のいい時だけ神様を必要にしたって何もならないという点に共感し、私も私の神様を持とうと思い、教会へ再び足を運びはじめました。しかし、その頃、あまり苦しい状態の中にいたわけでもなかったので、日曜日には教会へ来たり、来なかったりで、また家で聖書を開くこともあまりなく、説教や集会を通してイエス様についてすこしづつ知るようになっていただけでした。本当に少しづつでしたが、聖書の中から学んだ事柄が、心に留まるようになり、基本的な事なのですが、人の悪口を言わないとか、うらやんだり、ねたんだりしない、人には嘘をつかない、親切にするといった事がらを実行できるようになってきました。

 しかし、一方で自分が壁につきあたっていることを感じはじめました。その頃は、その原因がわからず、自分でも「確かにイエス様は良い事をいろいろ教えてくださるけど、本当に私を救ってくださるのかしら」と、私とイエス様の間に大きな壁がありました。そういう日々の中、だいぶきょうかいへも通ってきたので、まわりの人々から「美樹さんも、そろそろ洗礼を受けたら」と言われるようになりました。目標と言ったらおかしいかも知れませんが、自分が教会へ戻ろうと思った日、「洗礼を受けられるまでに頑張ろう」と心に決めていましたが、その頃、大事な事を知らなかったため、行き詰りを感じていたのでした。

 後に、中尾牧師と個人的にお話をする機会を与えられるまで、私に分かっていなかったのは、イエス様の十字架の愛の意味でした。それまで、イエス様が十字架にかけられた事実は分かっていましたが、私たちの罪のために死んでくださったということを、私は、自分に良いように勝手に解釈していました。なぜなら、それまで、罪らしい罪は犯したことはないし、人からも、親からも好感を持たれる人生を送って来たので、罪人とは、私以外の人々か、聖書の書かれた時代の人々という考えがあって、私とイエス様とを結びつけなかったのだと思います。けれども、イエス様に、私の犯してきたいろいろな罪を指摘された時、恥ずかしさと悲しさで一杯になりました。そして、こんな私のためにもイエス様が死んでくださり、また、愛してくださっているんだと、本当に分かった時、感謝の気持ちで一杯になり、やっと私とイエス様の間の壁がなくなりました。「わたしたちがまだ弱かったことろ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。…しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」(ローマ人への手紙五章六、八節)私は自分が罪人であることを認め、イエス様を私の心に迎えいれるお祈りをすることができました。また、すぐに、木曜集会で、イエス様を信じたことをあかしすることができました。

 下の子が生まれ、二人の子どもの育児に追われ、外出もままならず、自分の自由な時間もなくなり、「私は育児をするために生まれてきたのかしら」と思いわずらって、ストレスのため、夫やまだちいさい子どもにあたっていた時期がありました。頭の中では、「大変なのは今だけなのだ」と分かってはいても、自分の心の行き場がなく、必要以上に子どもを叱ったり、たたいたりしては後で後悔してしまう日々でした。そんなある日、教会から借りて帰った福沢満雄先生のテープを聞いていたら、ちょうど「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとにきなさい。私が休ませてあげよう」というお話しがあり、とても心を動かされました。イエス様は私たちに心の平安を与えてくださり、また私たちの歩んで行く人生の上に愛と希望をも与えて下さるということを知り、私は「ああ、イエス様について行こう」と決心しました。

 イエス様の愛が分かり、これから先、イエス様に従って行こうと決心し、洗礼を受けたいと思うようになったのは今年の七月頃でした。毎日聖書を読み、祈るようになりましたが、主人の前やクリスチャン遺骸の人々の前で、お祈りをするのが恥ずかしかったり、食事の前に感謝のお祈りをするのを忘れたりとか、いくつかの事がこころに浮かびあがり、そうした事を考えると、イエス様は、また、サンディエゴの兄弟姉妹たちはこんな私を受け入れてくださるだろうかと考える日が続きました。そういう時、洗礼はクリスチャンの出発点であるというお話しを聞き、その言葉に励まされ、この日を迎えることができました。この世で一番、クリスチャンとしては最低な始まりかもしれませんが、今日、この日を境に、大きく成長していく努力をすることと、神の子の一員として恥ずかしくない人生を歩むことを決心しました。もちろん、わたしの決心や、努力だけで、そのことができるわけではありませんので、私に力を与え、私を導いてくださる神様に、イエス様に、ご聖霊に信頼して、励んでいきたいと願っています。

 私の人生を変えてくださり、また、その上に愛と希望を与えてくださるイエス様に感謝します。

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