
サンディエゴ教会あかし集 1997年11月
=第7号= 目 次
| 神は私の造り主 | ……………… | アーリー美智子 |
| ひとつの答え | ……………… | 金子 あや |
| 神様の祝福 | ……………… | ニールセン モト子 |
| バプテスマを受けるにあたって | ……………… | 植地 秀 |
| 神の愛に導かれて | ……………… | ワリッシュ真由美 |
| 正しい道に立ち戻って | ……………… | ワリッシュ トム |
| 私のベストフレンド | ……………… | 吉田 舞子 |
学校を卒業し、栄養士として横須賀の病院に働き始めた時、はじめて、まことの神様を信じる人たちに出会いました。その病院はカトリックの経営で、礼拝堂が別棟にあり、病院の四階にはシスターたちの寄宿舎があり、おおぜいのシスターたちがそこで働いていました。地位がまだ下のシスターは献身的に、一所懸命に働いていらっしゃいましたが、上のほうの人たちは俗世間に負けず劣らず、醜い権力争いをしており、下の人たちへのことばづかいときたら、それは、私たちが聞いてもびっくりするようなことばかりでした。私は、子どものころから、この世界には、また、私の人生には、目に見える以上のもの、私の考え以上の力が働いていることを感じていましたが、それが、神様であることは、どうしても信じることができませんでした。この病院のシスターたちの姿を見ていると、自分たちとたいして変わらないし、神様を信じなさいと説教されても、その人たちのしていることを見ていると、私のほうがよっぽど正直に生きているなどと思い上がって考えていました。それに、私の頭の中には、学校で習った進化論がしっかりと根づいており、なにごとも、科学で白黒はっきりと説明できないものには納得できませんでした。
その後、アメリカに来、結婚し、子どもができ、いままで自分の思いどおりになっていたことが、様子が変わってきたのです。自分の思いどおりには事がはこばず、辛く納得のいかない日々を過ごすことが多くなってきました。自分に自信があり、思い上がっていた私には、これが神様の、「わたしのもとに帰ってきなさい」という呼びかけだったのです。
はじめて教会の門をたたいたのは約八年前、ある友人にすすめられてのことでした。教会員の方たちが暖かく迎えてくださり、「ああ、こんなところもあったんだなあ」とホッとした気持ちになりました。別の友人が私に聖書をくださり、まだ神様を信じたわけではない私にとっては、ちょっと迷惑だなあと思いましたが、一応いただいておきました。こうして、私の教会生活が始まったわけですが、説教を聞いている時は「ああそのとおりだ、何と良い事を聞いたのだろう」と感激するのですが、家に帰るとさっぱり何も覚えていないということの繰り返しでした。
みことばを聞くうちに、先日田中先生のテープを聞く機会があり、私とまったく同じような八十才くらいのおばあさんのことが出てきました。このおばあさんも、良い事を聞いても覚えていることができないザルのような頭の持ち主で、教会に来ても来なくても同じなのでもう来ませんと先生に話したそうです。そこで先生はどう答えるべきか、一瞬神様に祈りました。先生の口から出てきた言葉は、「おばあちゃん、ザルから水がもれるけれど、それならば、水の中にザップリとつかっていたらいいんでないの?」でした。
教会で聖書を学び続けているうちに、私はただ偶然にここにいるのでなく、神様が私を愛をもってつくり、私の人生には意味があり、目的があることがわかってきました。「あなたのみ手はわたしを造り、わたしを形造りました。わたしに知恵を与えて、あなたの戒めを学ばせてください。」(詩篇一一九・七三)ところが、私は神様のみこころにしたがわず、また、それを求めようともしないで生きてきました。神様は、そのような私のために、ご自分のひとり子、イエス・キリストを世に送り、十字架に掛け、私の罪の身代わりとされました。イエス様は三日目に死人の中からよみがえり、今も生きて、イエス様を信じる私を救ってくださるのです。神様は、石のように固かった私の心に、このことを少しづつしみ込ませてくださいました。
ルカ十五章の放蕩息子が、自分の本当の姿が分った時、本心に立ち返って父親のもとに一歩踏み出したように、私も、いままで神様の招きの声をしりぞけていたことを悔い改め、イエス・キリストを私の救い主、私の主として心に受け入れ、従いたいと思います。教会生活を通じて、真の友が与えられ、また、こんな私でも見捨てることなく、「わたしのもとに帰ってきなさい」と導いてくださった神様に頼り続け、神様のみこころに近づきたいと願っています。
私は、クリスチャンホームに生まれ育ちました。ここサンディエゴ・キリスト教会で大きくなりました。赤ちゃんのときからこの教会に来ていますので、教会は家族のようなものです。小さい頃は、友達に会って楽しむために教会に来ていました。実際のところ、ハイスクールになるまで、イエスさまが私のために死んでくださったことに対して、心を打たれたことはありませんでした。だた習慣的に、サンデースクールと、ユースグループの集まりに出席していましたが、神様を自分の人生の真ん中に置いてはいませんでした。私の十代の前半は、少しも幸せではありませんでした。イエスさまや神様やバイブルストリーは知っていましたが、しかし、ほんとうのところ何も信じてはいなかったのです。自分の人生を少しも楽しんでおらず、それどころか、みじめな人生だと思っていました。
十年生になろうとしていた夏に、マントハーモンのハイスクール・キャンプに行きました。キャンプに来ていた私と同年代の子たちは、イエスさまを心から信じ、イエスさまを信頼して生きているように見えました。私は、これまで自分は何と的外れであったかを思い知らされ、彼らのようになりたいと思いました。今振り返ってみると、ほんとうは、彼らも私と似たり寄ったりだったのだと思うのですが、その時は、私の目には、彼らが神様によく訓練され、神様とだけの時を過ごしているように見えて、実のところ私にとってはたいへんなショックでした。そこで、私は、イエス様を私の救い主として受け入れ、彼らのようになりたい思いました。この経験は、私を霊的にとても高めましたが、それが消えてしまったとき、大きな困難にぶつかりました。学校が始まって、新しい学校生活がうまく行かないことに加え、自分の霊的な高まりを持ち続けることができなかったことで、悲しくなり、ひどく落ち込んでしまいました。孤独感に襲われ、誰からも愛されていないと思い、私の人生が終わってしまえばいい、とさえ思いました。どうして長い間、そんな思いにとらわれていたのか、その時はまったくわかりませんでした。今思いますと、その時の私は、クリスチャンになりたてで、自分一人では歩くことのできない弱々しい赤ん坊のようなものだったのです。私は、ほんとうに一生懸命、イエスさまとの絆を強めるために、一つの答えを得ようと探し回りました。
十一年生の夏、はじめてランチョ・アグア・ヴィヴァ(RAV)に行きました。この一週間は、私の人生で最も多くのことを学んだ1週間でした。神様を愛し、信頼し、常に神様の導きと助けを祈り、神様に聞き従う人々の中で過ごした一週間でした。一番私の心を打ったことは、行動でもって神様を証しするという彼らの信仰でした。私は、神の愛というものをはじめて私の中に感じました。神の愛は、私たちが人間の中に見出そうとしても見つかりません。完全に無条件の、無私の愛です。神はまさしく義なるお方であり、私は神様の前に悔い改め、私自身をあけわたしました。神の愛が、私がこれまで探していた答えだということがやっとわかりました。イエスさまは、招いておられたのです。
私は、今年のパームサンディーにバプテズマを受けました。神様との歩みは、まだまだ赤ちゃんの状態で、神様に成長させていただかねばならない余地が私の内にたくさんあると感じています。しかし、わたしにとって大事なことは、神様を信じていること、その神様が、私の一歩一歩を共に歩んでくださって、日々私を強めていてくださるということです。そのことを知ることによって、私の心は、常に喜びと平安に満たされます。私はこれを決して手放しはしません。たとえ、私の人生の中で困難に出会っても、神様を信頼して、物事をよい方向に向かわせることができるでしょう。私が、今、神様にお願いしていることは、まだ神様を知らない人々に、神の愛について、神様について話せるようにしてくださいということです。神様はすばらしい方であり、私たちを愛してくださっています。
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ロマ八・三八、三九)
田舎で生まれた私は戦後の食糧難の苦労も知らず、けっして裕福では有りませんでしたが、子供に対しては愛情豊かだった両親のもとで育ちました。にもかかわらず、教育ママだった厳しい母ばかりでなく、私を唯一理解してくれた父にさえも反抗しました。私の反抗は思春期になってますます増して行ったのです。その結果は親不孝という形になってしまいました。両親は癌で二人共一ぺんに亡くなったのですが、その時私は青春を謳歌している真っ最中でした。二児の母親になって初めて親の有難たさが分かったのですが、俗に言う「孝行のしたいときに親は無き」の通りになってしまったのです。三十年たった今でも悔やんでおります。小さい罪は数えきれないほどしてきました。今でもしておりますがそれが私の第一の大きな罪です。
一応は良い男性にめぐり合い、親になってからは子育てにはげみました。「一応」と言いましたのは、責任感と誠意と家族を愛する気持ちは人一倍強い人ですが彼の欠点はショートテンパーなのです。自分の欠点はかえり見ず、私は彼の欠点を許す事が出来ず、長い間、これで良いのかと何回も離婚を考えたり、自分の気持ちに葛藤して参りました。其の間にも何回か教会に行ったりしたのですが、私は物事をどうしても科学的、理屈っぽく考えてしまい、神の存在を信ずることが出来ませんでした。そして又遠ざかってしまったのです。これが私の第二の大きい罪です。
そういう私の罪深さに、神もとうとうお怒りになられたのでしょうか、いいえ、慈悲深い神は、私を神に立ち返らせるため、また、成長させるために、試練を下さったのです。主人がミニ・ストロークでたおれたり、色々な事が同時に重なったのと、私の今までの心の葛藤が爆発したのでしょうか、一時、情緒不安定に陥り、口の暴力で彼をせめ、夫婦の仲も危機に陥ったりしました。これが私の第三の大きい罪です。
その時は神様を怨んだりしました。神様の存在を疑っていながら、都合が悪くなると、神様を怨んだりするのですから、勝手なものですね。神様はそんな身勝手な私にも、親切にしてくださり、自分の欠点と罪に気づかせてくださり、主人の欠点を許せるようになったのです。そうしたら何と気持ちがピースになったことでしょう。人間の気持ちがこんなに早く変わる事はありません。これは聖霊様の働きと言わず何でありましよう。その時、子供の時に習った事がよみがえってきました。神は本当に実在するのです。神はこの世界の、いいえ、この宇宙の創造者なのです。神は試練と共に恵みも下さいました。主人の病気が後遺症もなく良くなり、彼も自分の欠点を直そうと努力して夫婦の仲も前より一層良くなったことです。それと、娘は良き家庭の主婦として頑張っており、息子は今年から新米の医者として働いています。
私はこれらのことを通して、神様のもとに立ち返りたいという思いで、教会に戻ってきました。聖書を教えていただくにつれて、自分の犯した、親不孝、神様を求めなかったこと、夫をののしっていたことの三つの大きな罪のほか、数え切れない罪、自分でもまだ気付いていない罪があることがわかってきました。きよく正しい神様は私の罪をお嫌いになります。どうしたら、私の罪はゆるされ、きよめられるのでしょうか。神のみ子イエスさまが、私の罪を背負って十字架で死んでくださったことによるのです。「神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互いに交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」(ヨハネの第一の手紙一章七節)「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるからわたしたちをきよめて下さる。」(九節)私は素直に自分の罪を認め、神様にゆるしを願いました。神様はイエス様によって私をゆるし、受け入れてくださいました。ですから、こんどは、私のほうから、もっと神様に近づいていきたいと決心しています。聖書を学んでも、なかなか頭に残らないこともあります。だからこそ、毎日聖書を学び、毎週礼拝でみ言葉を聞かなければなりません。また、「キリストの言葉をあなたがたのうちに豊かに宿らせなさい」(コロサイ三章一六節)とあるように、み言葉をただ聞くだけではなく、それを心にとどめて、実行する者になりたく思います。
サンディエゴには、そのころ、キリスト教会は合同教会(今のオーシャンヴュー教会)しかありませんでした。両親はクリスチャンではありませんでしたが、私たち兄弟に教会に行かせました。私がはじめてイエス様のことをならったのは、合同教会のサンデースクールでした。
八歳の時日本語の勉強をするため、日本に帰りましたが、移民法が厳しくなり、再入国が難しくなるということが分かったので、十一歳の時、再びサンディエゴに戻ってきました。それから学校に行ったり、ロスアンゼルスで働いたりしましたが、サンディエゴで農業をすることになりました。戦争中は、病気をしたり、ポストンのキャンプに行ったりしてつらい思いをしました。その中で家や畑が残っていたのは、不幸中の幸いでした。
戦後、一九四八年に君代と結婚しました。妻に伝道してくださったのは八尋先生でした。八尋先生は一所懸命イエス様のことを教えてくださいましたが、それは、妻や子供たちのためで、自分のことではないと、人事のように考えていました。
常石先生、戸田ジェームス先生も教会に誘ってくださり、クリスマスやイースターの時に出席していました。吹上先生の時、礼拝に出るようになり、教会のガーデンの仕事もさせてもらいました。しかし、ちょっとしたことで、教会に行かなくなり、それから長い年月が経ちました。
最近、妻が手に怪我をし、ドライヴができなくなったので、私が教会に連れていくことになり、それをきっかけに教会に戻るようになりました。今まで、妻には「ぼくはイエス様を信じているよ。」と言ってきましたが、この機会にイエス様に対する信仰をはっきりさせなければならないと感じるようになりました。イエス様は、私の罪のために死んでくださいました。イエス様は、私のために命を捨ててくださったのに、私は、命の恩人であるイエス様に対して、あまり感謝もせず、真剣ではありませんでした。今、そのことを悔い改め、「イエス様は今も生きて、私に永遠の命をくださる救い主です。」と、バプテスマを通して、言い表したいと願っています。七九歳で主に救われたことを感謝し、主に従っていきます。
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書三・一六)
そのような時に、クリスチャンである主人に出会いました。彼は、私が今まで出会った誰よりも誠実で、ユーモアがあり、また他人に対する思いやりを持った人でした。私達は二年後結婚し、幸せな毎日を送っていました。サンディエゴに転勤が決まり、九十一年アメリカへ渡りました。そしてこの教会に導かれたのです。初めて行った時、信徒の方々が暖かく迎えてくださり、特に佐世保弁で話しかけて下さった姉妹がいて、何か家庭の中に帰ってきたような感じを受けました。
中尾先生のお話や、家庭集会などを通し、聖書だけが神の言葉である事、人は生まれつき罪人であり、その罪から救われなければならない事、そしてその救いは神の御子であるイエス様の死と復活によってだけ、成し遂げられた事などを学びました。
「しかし彼を受け入れた者、すなわちその名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は血すじによらずただ神によって生まれたのである」(ヨハネ一章十二−十三)時間はかかりましたが、少しづつ理解できるようになり、私は自分の罪を認め、イエス様が私の救い主であると信じ、祈りました。ある日、聖霊が働いたのか、十字架に付けられたイエス様のまぼろしを見ました。不思議な体験でしたが、この事で強く確信を持つようになり、九十三年イースターに、中尾先生より洗礼を授けていただきました。父があの時反対してくれなかったら、私は真の救いを知らず、儀式や戒律を守ることで救われると信じ、今もむなしい努力をしていたことでしょう。結婚もサンディエゴの転勤も、神の御計画の一つであったことを信じ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。救われて四年たちますが、日々神に守られて信仰生活ができること、また家庭が祝福されていることは感謝です。これからの人生も、どこにいても、ずっと神の深い愛の中で生かされていたいと願っています。「こんな小さな私ですが、神様どうぞ私を用いてください」と祈る毎日です。
「あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい」(エペソ五章八節)
私は、いつかはクリスチャンになるだろうと思って、過していました。しかし、それは大きなコミットメントであるように思え、私はその決断を下す前に、もう少しこの世的な生活を経験すべきではないかと思っていました。それは、あたかも電車が崖に向かって走っているようなものでした。しかし私は、崖っぷち間際まで、その電車から飛び降りたくなかったのです。誰も、いつその電車が崖を飛び越して、下へ落ちてしまうのか、わからないのです。しかし、私のそんな思いは、決して良い考えではありませんでした。あなたも、私が何を言おうとしているのか、おわかりになりますね。
九年生の時、私は友人のジェフ、ボンゼラーの教会ヘ行きました。「ティーン、チャレンジ」という、自転車のラリーが、ユースのために行われていたのです。その晩、私は、キリストを私の救い主として、受け入れました。ジェフの父親のカルヴァン、ボンゼラー牧師が、ローマ人への手紙第十章九節の御言葉をシェアして下さったのです。「すなわち、自分の口でイエスは主であると告白し、自分の心で神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは、救われる。」私は、それがあまりにも容易なことに、大変驚きました。私は、与えられた御言葉を暗誦する必要も無く、一セントも支払うことも無かったのです。救われるために、私は完全な人間でなくて、よかったのです。イエス様は、何の罪も汚れもない、そのご自分の命を、私のために生涯生きて下さり、その命を捧げて下さったのです。私は、ただそれによって得たプライズを頂けばよかったのです。
私は、興奮とエネルギーに満たされていました。私が家に戻った時、何故そんなに喜びに満ち溢れているのか、はじめのうち、両親はわかりませんでした。しかし、すぐに私と共に、その喜びと興奮を分かち合ってくれました。私は、ゴスペルシンギンググループに、バスギタリストとして参加するようになったのです。しかし、何かおかしなことが起きるようになったのです。それまで、私のことを救いに導いてくれた人達の中にさえも、私の一生懸命、主に従おうとする行いに、水をさしたり、そんなにまで熱心にならなくてもいいじゃないか ― と言ったりする人が現れてきたのでした。私は、その時、ボンゼラー牧師が、私にこう言っていたのを、思い出したのです。「お前は、本当のクリスチャンではない」と、私にむかって言う敵が、現れる時が来ると ― 。牧師がそう私に言ったときには、その意味が良くわかりませんでした。しかし、だんだんとそのことが、良くわかってきたのです。
それから、私は無意識の内に、だんだんと、神様に対する献身の思い、誓約から流され、離れて行ってしまいました。私は神様から、逃げていくことに一生懸命だったのです。私は、クリスチャンを避けるために、私にできる最もこの世的なことを選びました。それは海軍に入隊することでした。
海軍に入って、一年もたたぬ内に、私の父が、癌の末期状態に陥り、入院しました。その病院のベッドで、父は、かっては力強かったその手で、私の手を握りしめ、私をまっすぐに見つめ、最後の言葉をこう言ったのです。「トム、お前は、本当に神様を信じているのか?」「もちろんです、お父さん。」と、私は口から出まかせに、こう答えてしまいました。父はもう一度、力をこめて問いかけてきました。「いいや、違う。トム、お前は、本当に信じているのか?」私はまた、「はい、お父さん、信じています。」と、答えました。父はその答えにも、不満でした。そして、「しっかりと目を覚まして、信じなさい。」と言ったのです。私の父は、誰に対しても、ためらうことなく、キリストを証ししていました。病院では、看護婦、医師、そして他の患者たちに対して、父は、「私はもうすぐ、故郷に帰るんです。」と、言っていました。父は、「また、そこでお会いしましょう。」とも言っていました。私は、父が、私から聞きたいと思っていたことを、語ることができたつもりでいました。父の病室を出た後、私はすぐに、キリストの信仰を捨てて、この世の生活を続けていこうとしました。とにかく、そうしようとしていたのです。イエス様は、そんな私に、常にクリスチャンを遣わされたのでした。ある時は、本当に不思議に、晴天のへきれきの如く、聖霊に満たされた、おせっかいな、小さなクリスチャン達が、私を探し出し、私の神様に対しての、献身の思いを、思い起こさせるのです。私が、妻の真由美と結婚しようとした時、私の教会の牧師は、その結婚はしないほうが良いと言ったのです。それは、私が、神から離れていたからでした。彼は、きっぱりと、私達を結婚させることを、断ってきたのです。今になって思えば、本当に私は、彼の清廉さに、敬意を表す思いで一杯です。
一九九一年、私は、USSニューオリンズ勤務となり、そのチャプレンのアシスタントである、レニー、レイと出会いました。彼の奥さんは、ゆきえという日本人女性で、このサンディエゴ ジャパニーズ クリスチャン チャーチに行っていると話してくれました。私達は、この教会が神の家族として、聖霊の力強い働きと、人々の交わりによって成り立っていることに、大変感動し、この教会のメンバーになることを決心しました。そうして、もう一度、イエス様のもとに戻ったのです。
私の妻が受洗した時に、私は、私自身が更に神様に近づき、そのご用のために働く必要性を感じました。教会の私の友人達の助けのもとに、また職場のクリスチャンによって、私の心に、神の愛は永遠のものとなりました。私は、自分が中学生の時に、初めてイエス キリストに従っていこうと決心したので、ジュニアハイの、サンデースクールの教師になりたいと、思うようになりました。神様はその思いに対し、ドアを開いて下さいました。三年前にジェニーヒガシ姉によって、その機会が与えられたのです。
私は、今もイエス様に向かって歩いています。イエス様と私との関係は、今も成長しつづけているのです。私の旅は、天国に入る時、私の救い主から差し出された、その手をつかむ時まで、終わる時はありません。そこへ向かう道から、時には、外れることもあるかもしれません。しかし、イエス様は、いつも正しい道へと、私を戻してくださるのです。
そのキャンプの後、しばらくは、神様から少し離れていても、何でもうまく行っていました。ところが、神様からさらに遠くへ離れるにつれ、多くの問題がおこってきました。私は、自分に起こるいやなことをみんな、神様のせいにし、「もし本当に神様が私を愛してくださっているなら、私にこんなひどいことをなさらないだろう」と思っていました。それどころか、もっと神様に対して、怒りを覚えました。ところが突然、どうして、自分一人だけで、問題を解決できるだろうか、私は神様の愛と助けが必要だ、ということに気がついたのです。私を助ける事のできる神様から、私は遠く離れてしまったのです。多くの人が私を助けようとしてくれていたのに、そうすればそうするほど私は、神様から離れようとしました。私は、自分のまわりの人を皆、特に母を傷つけていたのは分かっていましたが、気にしていませんでした。ところが、神様が少しずつ、私の心にある氷をとかしてくださいました。そして、自分の大変な時期、神様が私の側を離れてしまったのではないということが、わかってきました。神様は私に、自由意志をもたせてくださったのです。私には自由な意志があるので、自分に起こった事は、神ではなく、私が責任を持たなければいけないのです。自分のまわりの人を傷つけているときも、本当は自分を一番傷つけていることは、分かっていました。
今まで自分で決断したことは、どうやってその時決めたのだろうかと、ふりかえって考えることがあります。後悔することもありますが、今まで私が通ってきたことが、今の私を作っているのだと思います。色々のことを通ってきましたし、これからも通るでしょう。でも、神様が私の心にいてくださり、悪いときも良い時も、導いてくださるので、以前と同じ間違いはしません。神様はいつも私の側にいてくださいます。なぜなら、神様は私のベストフレンドなのですから。